太極拳の動きはどうしてあんなにゆっくりなのでしょう?
もしあのゆっくりの動きを3倍速にして素早く動いたらそれは太極拳でしょうか?
また、それを見て太極拳だと認識する人はいるでしょうか?
ご想像通り、形は太極拳でもそれを速くやれば一般的にそれを太極拳とは認識されないでしょう。
やっている本人は「太極拳を速くやっているんだ」と思うかもしれませんが。
現在日本で行われている太極拳は、五代流派(楊式、呉式、孫式、陳式、武式)もしくは競技太極拳(簡化24式、総合、自選難度等)がほとんどだと思います。
それらの中に最初から最後まで速く動き続ける太極拳の套路(とうろ:型)はほとんど存在しません。
陳式老(新)架二路のような終始速いものも確かにありますが、それでもゆっくりである一路がメインだというのはそれほど反対意見はないところだと思います。
よって多くの方の認識として太極拳はゆっくりであるというイメージが強いと思います。
では、何故ゆっくりなのか?
太極拳をやっている方は一度この問題を考えてみると、太極拳に対する理解を深めるのに役に立つと思います。
これは私がこれから書くことが正しいという事では毛頭なく、自分自身が太極拳についてどのような理解をしているのかという再認識のために役に立つという意味です。
もしこれを読んでいる人で、今太極拳をやっているであれば、このまま読み進めずに、
まず自分なりの答えを一つでも考えてみて下さい。
如何でしょうか?
ひょっとして太極拳を健康の目的でやっている方であれば、太極拳がゆっくりな理由は、
足腰のトレーニングを安全に行えるからと答えたかもしれません。
または、ゆっくりな動きは副交感神経を刺激しやすいからと答えたかもしれません。
競技スポーツとして演技している方であれば、
速く動いてルール上の時間を下回ってしまったら、点数が引かれてしまうからと答えたかもしれません。
ゆっくりな方がより優雅に見えるからかもしれません。
武術として相手にかける技を磨いている方であれば、
ゆっくりな方が全身の力を相手に伝える方法がわかりやすいから、
そのために練習はゆっくりなのだと答えるのかもしれません。
どれも太極拳がゆっくりである十分な理由だと思います。
要するに目的に応じて、その目的を達成するのに有効な手段であれば、その手段はどれも正解となると思います。
そうなると大事なのは、何の目的のための”ゆっくりな動き”なのかという事になります。
そもそも太極の概念は、太極(自然原則)を通じて無極(道)に至る道だと道教では説かれます。
太極という万里万象の自然原則に則り、無極という天地創造以前の混沌状態(窮極の原則、悟り、無、道、神など様々な呼ばれ方をされる抽象概念)に至る道です。
太極拳は、その悟りの道のためにやるという訳です。
しかしあのゆっくりした動きが悟りに至るかは、自分に聞かれても、
自信を持って「悟りましたっ!」
とは言えないので、分かりません。
その境地に至ったら、追記したいと思います(笑)
なので本来の太極の目的(無極)はいつか分かることを願いつつ、
ここからは、自分にとっての太極拳の目的とは何なのか?
そしてその目的のために”ゆっくり”が有効な手段なのか?
という事について述べたいと思います。
自分は太極拳の目的を以下の4つに分けて考えてます。
- 強:強くなるため、武術のため
- 健:健康になるため
- 美:表現の美しさのため
- 強健美どれにも共通する概念を会得体得するため
まず「強:強くなるため、武術のため」
強さ、武術とは何なのでしょうか?
武術とは強さを求めるものだというイメージが強いと思いますが、ルールのない状態で行います。武術としての最終目的です。
散手が最終的な目的なので、練架も推手も散手に直接通じていなければなんの意味もありません。
最終目的が散手なので、散手についてもう少し詳しく言うと、
先ほど武術はルールがないと書きました。
ルールがないというのはどういう事でしょう?
もちろん1人対10人もありです。
もちろん夜襲もありです。
もちろん武器もありです。
ということはもちろん銃もありです。
武術で銃もありだなんて、そんなの武術じゃないという人もいるかもしれません。
刀や槍はありだけど、銃は違う。というような。
しかし、昔は戦争のやり方が現在より原始的であっただけで、本質的には争い事であり、
武術はその争い事から生き延びることが目的であることは変わりありません。
よって武術とは、
自分自身が生き延びるため、そして仲間が生き延びるために、
あらゆる状況で”最もリスクの低いものを選択すること”だと考えています。
以前ある格闘家がバーで喧嘩になり、相手を絞め落として勝ちました。
その後、その人はそのままバーで飲んでいると、いきなり後ろからビール瓶で殴られ、
顎の骨が砕け、しばらくの間チューブで食事をとる生活を送りました。
命に関わるような怪我に至らなかったのは不幸中の幸いですが、一歩間違えば大事になったかもしれません。
散手とはいわゆるこういった状況な訳で、リングの上で安全な状況で、審判が見守ってくれる中戦う訳ではありません。
リングという特定の場所ではなく、あらゆる場所になります。
始めと終わりなどなく、あらゆる時間になります。
相手は一人ではなく十人の可能性もあります。
何を持っているのかも分かりません。
このように場所や時間、人数、手段など全ての制約を外したものが散手になる訳です。
ではこういった状況の中で、最もリスクの低いものとは一体何なのでしょう?