上海体育大学 武術留学記①

留学記

何故かふと上海に居た時の事を考えていたので、書き残しておこうと思う。

 

2003年5月から上海体育学院に留学した。

9月の新学期が始まるまでの数ヶ月は、武術の練習と中国語の授業のみだった。

留学した当時中国ではSARS(重症急性呼吸器症候群)というウイルス性の病気が蔓延しており、

なんで今来たんだ?って中国人から何度も聞かれた。

当時の自分はあんまり何も考えていなかったので、行くなら早いほうがいいだろうと思い、感染病のことなど一切気にする事なく上海に向かった。

 

当時上海体育学院は日本人の留学生というのがほとんどいなかった。

近くにある復旦大学という所は数百人規模で日本人がいるので、話によると留学中全く中国語を話さなくてもやっていけると聞いたことがある。

しかし上海体育学院は当時、卓球を学びに来た女性が一人、中国語を学びに来た女性が三人、そして自分という大学内に計5人という状況だった。

そのうちの一人は何と、自分の姉と全く同じ名前だった。

 

上海に着いた次の日から中国語の授業と、武術の授業に参加した。

中国語は事前に少しだけ勉強していったが、全く役に立たなかった。

先生が何を話しているのか全く分からなかった。でもそんな事よりも印象的だったのが、

初めて入った学校のトイレだ。

隠すものが何もなかった。

小はお腹位の高さの壁があり、その下に水の流れる溝があるので、みんなその壁に向かってする。

大は反対側にただ水の流れる溝があるだけなので、そこに自由にする形式だった。

登校初日の午前の印象はこれが一番大きかった。

 

午後は武術の練習。

自分が参加していたのは、上海体育学院の代表チームで、学生でありながらプロ契約をしている選手や元プロ選手が多く所属していた。

この日の練習は15年経った今でもはっきり覚えている。

 

凄すぎだった。

 

サーカスとかびっくり人間ショーを目の前で見ているような感じだった。

 

飛んだら降りてこない。

 

大げさ過ぎる言い方に聞こえるかもしれないが、本当にそんな印象を受けた。

 

人がジャンプすると無意識的に降りてくるタイミングを予測しているものだが、その降りてくるタイミングが確実に数テンポ遅れるのだ。

あれっ?まだ飛んでるという感じで。

 

そして動作も目にも留まらぬ速さで、早送り動画を見ているようなスピードだった。

 

とにかくスゴかった。

 

そして皆のリズムについていこうと頑張った結果、1日目にしてめちゃくちゃ疲れたのを覚えている。

 

それから夕食を食堂で食べる時もちょっと大変だった。

中国語が何も分からないからおばちゃんに欲しいものが言えないのである。

だから必死に指を差しながら、おばちゃんにイラつかれながらなんとか注文した。

 

 

登校初日はそんな1日だった。

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