太極拳は太極思想に基づいた武術であると考えている。
よって太極拳を理解する上で、太極思想の理解は必須だと言えるだろう。
2−1 太極の語源
”太極”という言葉は歴史上《荘子》(紀元前369年 – 紀元前286年)
にて初めて用いられる:“大道,在太极之上而不為高;在六极之下而不為深;先天地而不為久;長于上古而不為老”。
(大道、太極の上にありて、高しとなさず、六極の下にありて、深しとなさず、天地に先だちて生じて久しとなさず、上古より長じて、老いたりとなさず。)[1]
その後《易传》(戦国時代(紀元前403年~紀元前221年)~前漢時代(紀元前206年~8年))
(易に太極あり、これ両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。八卦は吉凶を定め、 吉凶は大業を生ず)[2]
との記載がある。
2−2 無極から太極へ
道家思想では、
無極を天地創造以前の混沌状態、宇宙創造以前の状態、道(窮極の原理)の別称としており、
太極を宇宙の最も原始的状態、万物変化の根源、自然の法則等とし、そこから宇宙の万物が形成される。[3]
”無極”という言葉は道家の創始者である老子の《道徳経》にて初めて用いられた。
《老子·第二十八章》:“知其白,守其黑,為天下式。為天下式,常德不忒,复歸于无极。”
(其の白を知りて、其の黒を守れば、天下の式(法)と為る。天下の式と為れば。常の徳はたがわず、
無極に復帰す。)
万物が生まれる以前の混沌とした状態は、境界が無く、尽きることが無く、限りがなく、終わりも無い。
始まりが無ければ、終わりもなく、中心がなければ、境界もない。
そのような太極以前(万物が生まれる以前)の正確に表現できない抽象的な、万物生成の無限なるエネルギーを仮に”無極”や”道”と名付けた。[4]
2−3 太極とは
太極という言葉は、現在見られる文献の中では《荘子》にて初めて確認され、その後《周易・繋辞伝上》に記された。《周易》の太極に関する論述に、老荘の混沌哲学の精華を吸収し、太極という概念が次第に広く知れ渡り成熟していった。
老荘の表わす混沌哲学と同様、迷离恍惚(ぼんやりとしてはっきりとわからない)と万事万物の現象と人生の本質をとらえる。このような考え方の本質には、明晰な叡智が含まれている。
太極とは、人類の営みは自然の法則に従い、社会の概念や、常識、権威にとらわれることなく、
”無為而無不為”の安らかで調和のとれた状態(道、無極)を最終目的とする概念である。[1]
[1]:https://baike.baidu.com/item/太极/194
[2]:https://baike.baidu.com/item/易传
[3]:https://wapbaike.baidu.com/item/无极/16775
[4]:https://baike.baidu.com/item/道德经/327138?fromtitle=老子&fromid=1067290