「太極は無極から生まれる(太極者,無極而生)」
とは王宗岳という方が書いた『太極拳論』の冒頭の一言です。
太極拳のバイブルのような存在で、
太極拳をやったことがある方なら誰でも一度は読んだことがあるような、
そんな非常に有名な書物です。
”無極”とは万物の根源を指す言葉です。
無極(万物の根源)は、実態が有るのか、それとも無いのかも分からないような非常に抽象的な概念です。
それは神を語るのと同じようなものなので容易に示せるものではないでしょう。
そして太極の道とは、
その有るのか無いのかも分からない万物の根源(無極)に至る道
だとされています。
ここまで読んで頂いて、
「そうかなるほどっ!」
とすっきり分かった方は多くないと思います。
A地点からB地点に行くのだから、B地点からA地点に帰る。
という非常に簡単なロジックではあるのですが、
そのA地点の”万物の根源”ってそもそも何?
って感じだと思います。
そんなちょっと分かりにくい概念を、
別の角度から素晴らしく簡潔に説明されていたので、
紹介させて頂きます。
垂水 隆幸
ベンチャー、スタートアップへの組織コンサルティング、事業開発支援を手掛ける傍ら、プロコーチとして企業トップ、役員クラスを中心にエグゼクティブコーチングを提供 コーチング.com㈱ 代表取締役 元レバレジーズ㈱ 取締役 経営企画室長 元㈱経営共創基盤(IGPI)ディレクター
この方は当クラブで太極拳を学ばれている方の一人なのですが、
職業上の習慣なのか、
相手の中心を捉えるのが物凄く上手く、
しかもその捉え方に自我がなく、包み込むように自然に相手の中心を捉えます。
この相手の中心を捉えるというのは、
武術の中でも非常に習得困難な技術だと思ってました。
自分自身それが中々分かりませんでしたし、
ゆっくりそれを深めるのが日々の練習の課題になっています。
それを一回の練習ですっぽり掴まれた時は流石にびっくりしました。
ただよくよく話を伺うと、
その中心を捉える感覚は、カウンセリングをする際の感覚と非常に似たような感覚なんだそうです。
文中にもあるような頭で左脳的に考えるのではなく、
身体知を優位にし、更には純粋経験に近接した状態でのヒアリングが、
まさに太極拳での相手の中心を捉え、自分と相手が一つになる状態と同じなんだと思います。
そして、文中にある純粋経験とそこに至る方法というのが、正に太極から無極への道だと感じました。
しかも抽象的なところをできるだけ排除した形でそれぞれの特性をカテゴライズしているところが、
非常に分かりやすく明解です。
・視点の特性:分別知→身体知→純粋経験
・自己の範囲:思考分別→身体感覚→絶対無
文章の主旨は「傾聴の深さの体系」についてですが、
どう読んでも太極の道と非常に近いと感じたので、
太極に対して理解を深めたい人には、
とてもオススメの内容だと思ったので紹介させて頂きました。
う〜ん、凄い人っているんですね〜