
ある生徒さんは、
相手の中心を掴むのが兎に角上手い。
推手という二人で行う練習では、
相手の中心を掴めるか掴めないのかという部分が非常に大きな課題になる。
相手の中心を掴んだ状態にいると、相手との繋がり感、一体感が得られる。
そして触れている部分はわずかでも、相手の全体を把握することができるので、
相手を崩したりという相手のコントロールが非常に容易になる。
目的は相手との一体感なので、崩したりというのは検証のために行うだけであるが、
兎に角、
相手の中心を掴むというのは、
陰と陽を一つにする、自分と他人を一つにするという概念である太極拳においては非常に大きな意味を持つ。
その中心を掴むのがやたらと上手いその生徒さんは、
相手の中心を掴むというよりは包むような感触なのだが、
その状態になると、
「嬉しくなる、楽しくなる、笑顔になる」
のだそうだ。
陰と陽が一つになった太極というのは、
こういった感覚、感情が常に伴う。
一種の安心感や高揚感、快感などだ。
この感覚(太極)を共有したくて、
色んな人に感じてもらいたくて、
自分も多くの人とそれを感じたくて、
太極拳の指導に推手を取り入れている。
いきなりこの感覚の中で出来る人というのが稀にいるが、
多くの場合はある程度の練習を積む必要がある。
しかし、一定の練習を積んでしまえば、誰にでも実感できるものだという確信がある。
そしてその一体感の中でのコミュニケーションは、
言葉にも劣らない純粋な交流になる。
普段誰かと言葉を交わす時は、敬語で話すべきなのか(立場の上下はどうなのか?)とか、
いきなり突っ込んだ質問をしないほうが良いとか、考慮すべきところは多い。
しかし、推手の一体感の中には、
そういった社会的常識や、立場の上下など世俗的なルールとは全く関係がない。
お互いのエネルギー同士が交流するような感覚で、そこに嘘が入りこむ余地はない。
推手は非常に高尚なコミュニケーションツールだと思う。
嘘の多い交流に辟易している人は多いと思う。
人との対話が苦手な人も多いと思う。
そんな人にも
言葉以外の純粋な交流を感じてもらいたいと思っている。