上海体育大学に留学中、
套路の練習、5m近くある棒で行う練功、レスリングみたいに投げ合う推手。
これらの練習をぐるぐる回しながら行うのが太極拳だと思ってました。
話変わって、
台湾に競技推手の試合で台北に行った時、
何気なく公園に行ったら推手をしている人達が沢山いて、
流石本場だな〜って感心しました。
翌年、台湾の高雄で素晴らしいご縁に恵まれ、
高雄の代表である黄文佑老師にご指導頂くことができ、
色んな練習場に連れて行って頂きました。
そこでも套路と同時に推手を盛んに練習していました。
台湾での推手は非常にソフトなものでした。
上海で楊式太極拳を伝承している知り合いも、
毎日相当な時間を推手に割いています。
メインは四正手(しせいしゅ:お互いの手をぐるぐる回し続ける推手の基本)のようでした。
と以上のように、自分の触れた太極拳はいずれも套路と推手をセットで練習されていました。
というか太極拳の練習に推手が含まれていると言ったほうが適切です。
現在の日本の状況は、これとは少し違っていて、太極拳とは基本的に套路の練習だけを行い、
推手はそれこそ別の体系のものであるかのように、接触して行う練習はほとんどしないようです。
もちろん日本の太極拳の全体状況を把握している訳ではないので、そんな事はないという反論も当然あるかと思います。
なので、あくまでも私個人の推測であり、印象に過ぎません。
中国や台湾などの状況と、日本の状況が違うのは当たり前です。
インドのカレーと日本のカレーは違います。
自分はどちらも好きですが、日本のカレーも絶品で、もはや甲乙つけられません。
伝わってきたものをそのまま残すのも一つですが、
そこから日本人の口により合う形に変化させていくのも日本の素晴らしい文化です。
逆にそうする事によって、オリジナルも派生したものも両方の輝きが増します。
太極拳も同様、
中華系の太極拳と、日本系の太極拳があるのは必然であり、
両方あるから両方の価値が増します。
お互いの良いところをお互いに吸収し合い、それぞれの文化と融合することが大事だと思っています。
たまたま自分はインドカレーから食べ始め、しかも凄く美味しかったので、
その一部をシェアして誰かが喜んでくれたらいいなというだけで御座います。
食べてから「私の口には合わないわ」ってなったらそれはそれで良いのです。
ただその味を知らないとか、食わず嫌いはどうしても勿体ないと思ってしまう訳です。
むしろこちらが頭を下げて、お願いだから一度だけでいいから食べてみてください!これも美味しいと思うんですっ!m(_ _)m
という感じです。
ではインドカレーの美味しいところを列挙していきましょう!
ではなくて、競技推手の素晴らしい点を見ていきましょう!
最後まで読み終わった頃にはきっと食べてみたくてしょうがないはず、笑
・自分の練習段階がハッキリ分かる。だから練習に迷いがなくなる。
・套路が絶対に上手くなる
きつい筋トレやトレーニングなどは不要。老若男女誰でもできる。
まず競技推手は誰でもできるということです。
実際に大会に出るとなれば、激しい運動になるのでそれなりの準備は必要になります。
しかし、競技推手の練習は非常にゆっくりで側から見たら二人とも全く動いていないように見えることもある位です。
その運動強度は一人で套路の練習をする方が大変だなと思う位ゆるい場合が多くあります。
競技推手連盟では早くから視覚障害者とも練習をしております。
目が見えなくてもできます。
それ位手軽に取り組めるということです。
太極拳や中国武術では骨で立つというような表現があるように、
骨の位置を揃えて、その構造自体で相手の力をもらうという練習をします。
少し取っつきにくい表現になりましたが、
要するに、
「立つためには何々筋を使っているから、そこを鍛えて大きく強くしよう」という足し算の考え方ではなく、
頭はこの位置、肩はこの位置、腰はこの位置というように構造学的に優れた位置に身体を流動的に揃えていきます。
これは力を抜いて抜いて、できるだけ筋力に頼らないようにしようという引き算の考え方です。
ガンガン筋トレして強くなろうという、外へ外へという考え方ではなく、
できるだけ削ぎ落として(痩せる訳ではありません、笑)、機能性を追求する内へ内へという考え方です。
だから年齢が高くなってからでも、全く何の問題もなく行うことができます。
若いから出来るという類の運動ではありません。
内の教室でも体重が40キロない女性の方が何人かいますが、もの凄く強い立ち方をします。
思いっきり推しても推し切れません(ホント冗談ではなく。。)
五重の塔はその特有の免震構造によって、1300年以上も建っていますが、
コンクリートで固めた建物より、どこも固定しないで木で組み立てた建物のほうが長く持ちます。
それと同じように硬いもので固めれば大丈夫という発想ではなく、
柔軟に形を変えながら最適な位置を探すほうが無理がありません。
故に競技推手というのはこういった発想から、
きつい筋トレやトレーニングをしなくても、老若男女誰でもできるという訳です。
出来ているかどうかがハッキリ分かる。だから練習に迷いがなくなる。
小学校の理科の実験で、その液体が酸性なのか、それともアルカリ性なのかというのを調べるのに、
リトマス試験紙というものを使いました。
リトマス試験紙があればその液体が酸性かアルカリ性か分かる訳です。
競技推手というのはこのリトマス試験紙のようなものです。
例えば太極拳の多くの套路では、両手を真っ直ぐ肩まで持ち上げて、次に腰まで下ろしてくる動作で始まります。
その動作が正しく行えているかどうかをどうすれば分かるでしょうか?
それは相手に両手を掴んでもらって、その動作で相手をコントロールできるかどうか試してみればすぐに分かります。
それはもちろん掴むほうの人の技術が上まっていて意図的に動きを封じていればコントロールはできませんので、一概にかかれば出来ていて、かからなければ出来ていないという単純な判断はできませんが、
少なくとも先生は出来ている訳ですから、先生に掴んでもらって何が欠けているのかご指導頂ければいい訳です。
そして教わったように仲間にかけてみてそれがきちんと機能するのか検証すれば出来ているのかその場でハッキリします。
競技推手の練習では、このように単純な動作を相手に作用するかどうかをゆっくり細かく検証します。
実際の競技はそれを総合的に試す場なので、その一つ一つの技術は見えにくいかもしれませんが、
実際の練習は、一つ一つの液体にリトマス試験紙をつけてこれは酸性、これはアルカリ性と分ける作業に似ています。
この段階のことは出来て、あの段階のことは出来ていないなと、触れることによってすぐに判断ができます。
判断するのは、先輩や先生の役割なのですが、それを伝えてもらう事によって、今その時点でやるべき練習が明確になり、打ち込む課題がハッキリします。
どんな事でもそうですが、どこに向かっているのか分からず呆然と打ち込むのはとても不安なものです。
しかし、自分が今何ができなくて、それを克服するために何をすれば良いのか明確になっていれば、
練習に迷いはなくなります。
その今いる自身の段階を安全に計るのに、競技推手は一つの分かりやすい尺度になります。
ただ一つ断りを入れておくと、
競技推手というルールがある以上計れない事も多分にあります。
むしろ計れない事の方が多いです。
武術というとてつもなく広い世界で、一対一で、時間も決められ、環境も一定で、しかも足を置く位置まで決められているという極めて限られた狭い世界で武術の全てを計ることは不可能です。
競技推手で強いことと、武術で強いということとはほとんど関係がありません。
ただ、推す引くというような単純動作の検証手段の一つには成り得ます。
套路が絶対に上手くなる
先ほど太極拳の套路の例で挙げた通り、単純に手を上げて下げる動作一つとっても相手に掴んでもらってそれを行うためには様々な技術が存在します。
その中の技術を一つ身につけると、その人の套路はそれまでと別物になります。
そしてまたもう一つ身につけると、また変わっていきます。
そのようにして一つ一つ体得していくと套路は見違えるように変わっていきます。
その単純な動作に含まれる意味がどんどん豊かになり、套路練習もどんどん充実してきます。
側からは何も見えなくても、自分の内側に多くの財産があるような感じです。
(多くの財産を実際に持ったことがないので、この比喩が正しいかは分かりませんが、笑)
とにかく一つの動作に対する認識が変わった瞬間、套路は全て変わります。
見える景色が一変して、「あっこんな素敵な場所もあるんだ。。」
というように世界がまた少し豊かになります。
以上、簡単にですが競技推手をやるメリットでした。
如何でしたでしょうか?
食レポと同じで、結局自分で食べるまではその味は分からない訳ですが、
食欲を少しでもそそる事ができたならとても嬉しく思います。
実際に世界の景色が変わる瞬間は、ご自身で体感するしかありません。
是非一度体感しに来てください🎵
いつかは日本でも太極拳と推手がセットメニューとして当たり前になる日を夢見ております。